私は昔から現実逃避しながら生きてきた。
毒親ならぬ毒家庭を生き抜いてきた一部のエピソードを赤裸々に話してみたいと思う。
田舎、ではなく「ド田舎」で長女として生まれ育った私には、ふたつ下の弟がいた。
「ド田舎」「父方の祖父母と同居」という環境も手伝ってか、長男である弟は特別に可愛がられたと思う。
祖母が隠れて弟だけにお菓子をあげているのを見たことがあるし、弟だけにおもちゃをあげる祖母の友人もいた。私の目の前で。
私は幼いながら疎外感を感じ、隠れて泣いていた。
泣いたり子どもらしい部分はあるけれど、心の奥底では親族に対し「早く死んでほしい」という願望も持っていたことを今でも覚えている。
親族死んでほしい願望があったのは幼稚園児の頃だった。
我ながら恐ろしい幼稚園児だったと思う。
鬱憤を溜め込んだ幼稚園児が小学生になると、今度は自分のことを見て欲しい、褒めて欲しい欲求が生まれた。
その感情のまま勉強に打ち込み、成績は常にトップだったし、委員会の委員長を務めたり、詩や作文のコンクールは6年間毎年入選か佳作を受賞して賞状をもらっていた。
だけど、褒められるのは弟ばかり。
弟は勉強こそ普通レベルだったが、足が早く、リレーの選手に選ばれるほどの実力があった。
私は運動が苦手だった。
勉強ができるよりスポーツが出来た方が偉いのだろうか?とも思うこともあり、1人で急勾配の坂道を走ってみたりしたこともあったが、運動の方面では伸び代がないと小学生ながらに悟ったのと、祖母からの「お前には無理だ」の言葉で自らの向き不向きを理解して終わった。
私の家庭での生きづらさは「姉弟の不平等さ」だけではなく他にいくつもあった。
アル中かつ風呂場を覗く祖父、ダブルスタンダードとヒステリーで苦しめる祖母、怒鳴る父、宗教にハマった母。
父は思い通りにならないとすぐ怒鳴って叩いてきたし、プロ野球で贔屓にしているチームが負けると不機嫌オーラを発していた。姉さん女房の母だが父に恐怖心を抱き父に気を遣って接するので、正直頼りにならなかった。
母は割と優しい人だが、家庭でのストレスから新興宗教にハマり、私のお年玉を巻き上げ献金などに充てていた。
宗教上、薬は飲むなと言われ体調が悪いと手かざしでパワーを送り治す療法で治療を受けていた。
祖父は無口な人間だが、酒に対する欲求が強く2日程で4リットルの大五郎を1人で空けてしまうほど飲んでいた。
酒が無くなれば料理酒まで手につけたし、酒目当てで近所の人の自宅まで行ったりもしていた。
酔って警察のお世話になることもザラで、転んで血まみれの状態で帰宅することも多かった。
激しく嫌がる私を尻目に、私の工作用ハサミを使い、血で固まった髪の毛をカットした祖母のことは今でも脳裏に焼き付いている。
詳細は割愛するが、中学に入るまでは胸を触られたり色々苦痛なことが非常に多くあった。
のぞき、ゴミ漁りは実家を出るまで被害に遭っていた。
祖母のダブルスタンダードの例としては、ある朝「おはよう」と挨拶したら「私は目上の人なんだから敬語で話しなさい」と言われたので、翌朝「おはようございます」と敬語にしたら「家族なんだから敬語はおかしい!」と怒られる…といったもの。
理不尽極まりない。機嫌によって態度を変えるのはやめてくれ。
ちなみに機嫌が悪いとドアの開閉時、意図的にバタァァァァン!と極大の音を奏で自らの機嫌の悪さをアピールしてきて大迷惑だった。その度に音に驚き体がビクンと反応する。だからか、今でも大きな音が苦手。
家庭内の人間関係も最悪で、祖母は弟以外全員の悪口を陰でいつも私に話してきたのである。
母も祖母の悪口を私に話してきた。
今思えば家族の悪口をなぜ子どもに話すのか理解に苦しむ。
おかげですっかり人間不信になってしまった。現在も人と接すると「悪口を言われるのではないか」とフッと脳裏を掠める時が多々あるし、人と親密になることを回避してしまう癖がずっと抜けない。
イジメこそなかったが、大学生くらいまで人間関係で疲弊し大変苦労した。
話を戻そう。
逃げたくとも逃げられない「家庭」という名の閉鎖された環境で自分を救ってくれたのは本と絵描きだった。
本を読み、絵を描いている時間は邪念がなく純粋に楽しむことができ最高の現実逃避だった。
現実逃避に没頭する毎日を過ごしているうちに小学校高学年になり、絵のコンクールでは県展で初めて入選した。
県展入選という形で認められたわけだが、正直物足りず満たされない気持ちだった。嬉しいことには変わりはないが。
満たされなかったのは家族の反応が薄かったからだろう。
私の作品が展覧会で展示されたが、家族は誰も足を運ばなかった。弟のマラソンの応援は行くくせに。
小学校時代の担任には本当に感謝している。家庭では認められることはなかったが、4年間という長い間受け持ってくれた担任は家族らより私をよく見て、評価してくれ、チャンスをくれたと思っている。
担任の存在がなければもしかしたら今頃私は犯罪者になるか自殺していたかもしれない。
子どもの頃の自分に会えるならば、認めて、褒めて、子どもらしく甘やかしてやりたい。
現実逃避の方法が本と絵描きなんて文化的で素晴らしいと賞賛してあげたい。
ちなみに現在は、ソーシャルゲームをプレイすることが現実逃避になっている。
起床するとスマホのロック解除をし、ソーシャルゲームのアイコンをタップする。
朝のコーヒーを飲みながら、いわゆる“ソシャゲ周回”をする。
時間に縛られない、無職の朝。
こんな日々が4ヶ月目に突入しようとしている。
そんな自分を少しずつ変えていきたいから、子どもの頃の私をお手本にして浪費ではなく生産方式で現実逃避できるように過ごしていきたい。
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